ジェームズ1世 (イングランド王) の業績
ジェームズ1世(James I)、チャールズ・ジェームズ・ステュアート(Charles James Stuart, 1566年6月19日 – 1625年3月27日)は、イングランドとスコットランドの両方の王を務めた人物であり、**イングランド王(1603年 – 1625年)として知られています。スコットランドではジェームズ6世(James VI, 1567年 – 1625年)**として即位し、イングランドとスコットランドの初の同君連合を実現しました。
人物像
- 学識豊かで知的
ジェームズ1世は幼少期から優れた教育を受け、ラテン語、ギリシャ語、フランス語に精通し、政治や神学にも深い関心を持っていました。彼の著作には「王権神授説(王は神から直接権威を与えられる)」を説いた**『自由王国の真の法』(The True Law of Free Monarchies, 1598年)**などがあります。 - 王権神授説の信奉者
ジェームズ1世は絶対王政を支持し、「王の権威は神から与えられたものであり、臣民に対して責任を負うものではない」とする王権神授説を主張しました。このため、議会との対立を深め、後のイングランド内戦の遠因となりました。 - 対外政策と宗教政策に苦慮
彼は宗教問題の調停を試み、カトリックとプロテスタントの融和を目指しましたが、カトリック勢力からの不満を買い、**1605年の火薬陰謀事件(ガイ・フォークスの陰謀)**に直面しました。対外政策ではスペインとの関係改善を図るも、国民の支持を得られませんでした。
主要な業績
- イングランドとスコットランドの同君連合(1603年)
- ジェームズ1世はスコットランド王として即位していましたが、エリザベス1世の死去に伴いイングランド王を継承しました。両国の統合を推進しましたが、正式な政治統合(グレートブリテン王国の成立)は彼の死後の1707年になされました。
- 欽定訳聖書(キング・ジェームズ版)の作成(1611年)
- 彼の最大の業績の一つで、現在も広く使用されている英語訳聖書の基礎を築きました。(詳細は後述)
- 植民地政策の推進
- 彼の治世中に北アメリカの植民地経営が本格化し、1607年にバージニア植民地のジェームズタウンが設立されました。これはイングランドの北米植民地の最初の恒久的な入植地となりました。
- 議会との対立
- 絶対王政を強く支持し、議会と度々衝突しました。彼の専制的な政治姿勢は、後の**清教徒革命(イングランド内戦)**の伏線となりました。
欽定訳聖書(キング・ジェームズ版)が作成された経緯
背景
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16世紀のイングランドでは、宗教改革の影響で様々な英語訳聖書が存在していましたが、統一された公認訳がなく、宗派ごとに異なる聖書を用いる状況でした。
- ティンダル訳聖書(1526年)
- イングランドで最初の印刷された英語訳聖書。しかし、カトリック教会から異端とみなされました。
- 大聖書(The Great Bible, 1539年)
- ヘンリー8世の命で作成され、英国国教会の標準訳となりました。
- ジュネーブ聖書(Geneva Bible, 1560年)
- ピューリタン(清教徒)に支持され、広く普及したが、欄外に王権を批判する注釈があり、王にとって好ましくないものでした。
- 主教聖書(Bishops’ Bible, 1568年)
- イングランド国教会が公式に採用したが、一般の人々にはあまり普及しませんでした。
ハンプトン・コート会議(1604年)
ジェームズ1世は宗教の統一を図るため、1604年にハンプトン・コート会議を開催し、国教会とピューリタンの間の対立を調整しようとしました。この会議の中で、ピューリタン側が「より正確な英語訳聖書の必要性」を訴え、ジェームズ1世もそれに賛同しました。特に彼は、ジュネーブ聖書の王権批判的な注釈を嫌っていたため、新たな公式訳を作成することを決定しました。
翻訳と完成
- 翻訳作業(1604年 – 1611年)
- 50人以上の学者・聖職者が6つの翻訳チームに分かれて作業を行いました。
- ヘブライ語・ギリシャ語の原典を基にしつつ、ティンダル訳やジュネーブ聖書も参考にしました。
- 欄外注釈を最小限にし、王権批判の要素を排除しました。
- 1611年に完成し、「欽定訳聖書(King James Version, KJV)」として発表
- これは国教会の公式聖書となり、以降、長期間にわたり英語圏の標準聖書として広く用いられました。
まとめ
ジェームズ1世は知的で教養ある王でありながら、専制的な政治姿勢が原因で議会と対立しました。彼の治世の重要な業績としては、イングランドとスコットランドの同君連合、北アメリカ植民地の開拓、欽定訳聖書の作成が挙げられます。
特に欽定訳聖書(KJV)の作成は、宗教の統一を図る意図のもとで行われ、今日でも英語圏のキリスト教徒に広く愛用されています。