アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie)は、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したアメリカの実業家であり、慈善活動家です。彼の経歴や功績は非常に多岐にわたります。
アンドリュー・カーネギーの基本情報
・生誕: 1835年11月25日、スコットランド・ダンファームリン
・死没: 1919年8月11日、アメリカ・マサチューセッツ州レノックス
・職業: 実業家、慈善家、作家
・分野: 鉄鋼業、教育、図書館普及
【経歴】
幼少期と移民
・手織り職人の家庭に生まれ、産業革命による機械化で家族の生計が立てられなくなりました。
・1848年(13歳)に家族でアメリカへ移住し、ペンシルベニア州アレゲニー(現ピッツバーグ)に定住。
・最初の仕事は綿工場の糸巻き工で、週給1.20ドルでした。
・その後、電信配達員となり、やがてペンシルベニア鉄道で働き始めました。
ビジネスキャリア
・1853年: ペンシルベニア鉄道でトーマス・スコットの下で働き始める
・1859年: 初めての投資(エクスプレス会社の株式)で成功
・1865年: アダムス・エクスプレス社に投資し、鉄道・橋梁建設に参入
・1870年代:
ベッセマー製鋼法の可能性に着目
カーネギー・スティール・カンパニーを設立
・1901年: J.P.モルガンにカーネギー・スティール・カンパニーを売却(約4億8,000万ドル)
【慈善活動】
カーネギーは、「富の福音 (The Gospel of Wealth)」というエッセイの中で、「富を蓄えた者は、その富を社会に還元する責任がある」と主張しました。この信念に基づき、生涯で資産のほとんどを慈善事業に寄付しました。
主な慈善事業
1.公共図書館の設立:
・全世界で2,509の公共図書館(カーネギー図書館)を建設
・アメリカ国内に1,679館 ・イギリスとアイルランドに660館
・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどにも設立
・図書館建設総額は約5,600万ドル
・「図書館は教育への扉」と考え、地域住民が無料で利用できる施設を普及させました。
2.教育機関の設立と支援:
・カーネギー工科大学(1900年設立、現カーネギーメロン大学)
・カーネギー教育機関(1902年設立)
・カーネギー教育振興財団(1905年設立)
・教職員年金制度の確立
・奨学金や教育機関への資金提供を行い、多くの人々が教育を受けられる環境を整えました。
3.研究・文化施設の設立
・カーネギーホール(1891年)
・カーネギー自然史博物館(1896年)
・カーネギー研究所(1902年)
4.国際平和活動:
・ハーグ平和宮殿の建設資金提供(1903年)
・カーネギー国際平和基金(平和財団)(1910年)を設立し、国際紛争を平和的に解決するための活動を推進。
【経営哲学と名言】
カーネギーの言葉は、多くの人々に影響を与えています。
・「富は死ぬ時までに社会に還元すべきである」
・「自分より賢い人々を雇い、彼らの言うことを聞くことが成功への道である」
・「事業で成功する最良の方法は、人を育てることである」
・「富の中で死ぬことは、恥ずべきことである」
【遺産と影響】
・生涯の寄付総額は約3億5,000万ドル(現在の価値で約3,000億ドル以上)
・設立した財団や教育機関は現在も活動を続けている
・公共図書館システムのモデルを確立
・組織的な慈善活動のパイオニアとして、後世の慈善家に大きな影響を与え、アメリカだけでなく世界中の経済、教育、文化に多大な影響を与えました。
・彼が普及させた公共図書館のモデルや教育支援の仕組みは、現代にも受け継がれています。