神様はいつも公平で公正なお方でしょうか?
【詩篇6篇1-3節】主よ、お願いです!怒りにまかせて私を罰しないでください。
私たちは正義を神様に乞い求めるのではありません。そうすると神様に罰せられてしまうからです。私たちは神様に赦していただけるように慈悲を乞い求めるのです。私たちは公平さを神様に乞い求めるのではありません。そうすると神様のさばきを受けてしまうからです。私たちは神様のさばかれなくて済むようにあわれみを乞い求めるのです。
【第二テサロニケ1章4-6節】激しい迫害は、(中略)神様のさばきが公平に、また正しく行なわれている証拠です。(中略)同時に、迫害する者たちには、その報いとして、さばきと刑罰とを下されるからです。
問題などに悩まされ、困っている時は、神様は公平でも公正でもないように思いたくなることもあります。多くのクリスチャンでない人々が繁栄しているのに、神様はなぜクリスチャンが苦しむのを許されるのでしょうか?しかし、最後には神様の正義がまっとうされると確信しましょう。
私たちはなぜ正義や、公正さを追及するべきなのでしょうか?
【ヨハネ14章15節】わたしを愛するなら、わたしの戒めを守りなさい。
神様は私たちに公正であるように戒められましたから、私たちは神様への愛のおかげで正義や公正さを追求するのです。
【黙示録20章12-15節】(中略)死者は、これらの書物の規定に従い、それぞれの行いに応じて、さばかれました。
神様は正義を求める桃に報いられます。
【ヨハネ14章6節】イエスはトマスにおっしゃいました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。...」
神様は真理を創造されただけではありません。神様は真理そのものなのです。神様のために生きたければ、どんな犠牲を払ってでも真理を守らなければなりません。さもないと私たちも不正や不義の加担者となってしまうのです。
神様の公正さとあわれみはどのように関連しているのですか?
【ローマ6章23節】罪の支払う報酬は死です。しかし、神様が、ただで下さる贈り物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。
神様は私たちにどういうものが罪であり、罪を犯した結果が何であるかをはっきりと教えてくださったという意味で公正です。すべての人は同等に扱われるのです。また、神様は私たちが罪のゆえに当然受けるべき罰を逃れる道を用意してくださったという意味であわれみ深いお方です。私たちが毎回受けるべき公正は扱いを受けていれば、今よりはるかにひどい目にあっているに違いありません。
【マタイ5章43-45節】「隣人を愛し、敵を憎め」とは、よく言われることです。しかし、わたしは言いましょう。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。
正義は公正ですから悪や犯罪、不正行為を罰します。あわれみとはそれらを赦すのです・私たちにとって最も難しいことのひとつは、私たちに悪いことをした人を赦してあげることです。しかし、救いという神様の大いなる贈り物をはっきりとさとるには、自分も自ら赦しを体験しなくてはなりません。あなたが誰かをあわれむことは、その相手が神の国に入る大事なきっかけになるかもしれないのです。
■ 神様の約束:詩篇58篇11節
こうして、地上には公平にさばく神様がおられ、善人に必ず報いてくださることが、だれの目にも明らかになるのです。