なぜ悔い改めなければならないのですか?
【第一ヨハネ1章9節】しかし、もし自らの罪を神様に告白するなら、神様はまちがいなくそれを赦し、すべての悪からきよめてくださいます。〔なぜなら、キリスト様は、私たちの罪を帳消しにするために、死んでくださったからです。〕
心から悔い改めないと神様を拒絶し、罪にどっぷり浸かったままとなってしまいます。悔い改めると罪は赦されます。
〔ルカ13章1-8節〕(中略)あなたがたも罪を悔い改めないなら、同じように滅びるのです。
イエス様は、悔い改めない限り神様のさばきを受けることになると教えられました。
【ルカ15章10節】同じように、一人の罪人が罪を悔いて神のもとに帰った時、神の使いたちはたいへんな喜びにわくのです。
ひとりの罪びとが悔い改めると天国のすべての住民は喜びにわきます。
悔い改めとはなんですか?
【マタイ3章1-3節】(中略)悔い改めて、神様に立ち返れ。
悔い改めるということは、罪を犯して悪かったと思い、新しい生き方を、つまり神様に仕えて生きようと決意することを意味します。
【ルカ19章8節】一方、ザアカイは主の前で、こう告白したのです。(中略)「税金を取り過ぎた人たちには、四倍にして払います。」
悔い改めは、行動や振る舞いが変わって完結します。
悔い改めるというのは一度限りの出来事でしょうか、それとも罪を犯すたびに悔い改めなければならないのでしょうか?
【詩篇51篇16-17節】(中略)ああ神様。罪を深く後悔して砕かれた心こそ、神様は目を
留めてくださるのです。
救いは一度限りの出来事ですが、神様は私たちの心が砕かれ深く悔いていて、罪を告白し、悔い改めようという姿勢を喜ばれます。
【第一ヨハネ1章8-9節】もし、自分には罪がないと言い張るなら、それは、自分をだましているのであって、真理を受け入れようとしない証拠です。
神様と交わりを持ちながら人生を歩んでいる人は常に罪を告白し、悔い改めながら生きていくものです。
■ 神様の約束:使徒の働き2章38節
一人一人が、罪の生活から足を洗って神様に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってパプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊様という贈り物をいただけます。