あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書のことば

◆孤独感

孤独な私は何をすべきでしょうか?

【詩篇23篇4節】たとい、死の暗い谷間を通ることがあっても、こわがったりしません。主がすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるからです。

【詩篇139篇17節】主よ。あなたが私をかた時も忘れずにいてくださる事実は、かけがえのない支えです。

孤独を感じたとき、それは自分が愛されるべきでない人であるとか、何かが欠けているからというわけではないのだとさとりましょう。神様があなたを造られ、愛しておられ、何があっても見捨てられないと約束してくださったのですから、あなたは価値ある人間です。孤独な時も神様に見切りをつけてはいけません。そうすると自分をあわれんでしまい、がっかりしてしまい、迷惑の餌食になりやすくなってしまいます。

【マタイ11章2-3節】さて、そのころ牢獄にいたバプテスマのヨハネは、(中略)弟子たちをイエスのもとに送り、「あなた様は、ほんとうに、私たちの待ち続けてきたお方ですか。それとも、まだ別の方を待たなければならないのでしょうか」と尋ねさせました。

【第一ペテロ4章19節】ですから、あなたがたの今の苦しみが、神様のお心にそうものであるなら、なお続けて善を行ないなさい。そして、あなたがたを造られた神様に、すべてをお任せしなさい。神様から見捨てられることは、決してありません。

私たちはキリストを支持する上で孤独に感じることもあります。けれども、私たちとおなじぐらい熱心に献身しているクリスチャンが他にもいるという事実と、私たちが大胆に献身することを神様は報いてくださるという事実を慰めとすることができます。

【ローマ12章5節】私たちはみな、キリスト様の体の各器官です。キリスト様の体が完全になるには、私たちが必要です。(中略)ですから、私たちは互いに依存しあっており、だれもが、ほかのすべての人を必要としているのです。

クリスチャンの仲間を探しましょう。イエス・キリストが神の御子であると信じる正統なキリスト教の教会(エホバの証人やモルモン教、統一教会などはキリストが神の子であると信じていません)へ行ってみて、クリスチャンと交流を待ち始めるよう強くお勧めします。

【ヨハネ14章1節】どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけません。神を信じ、何もかも、わたしに任せなさい。

孤独な時は怖く感じることもありますが、神様は私たちの恐れをなだめてくださいます。

誰もかも私を見捨てたのでしょうか?

【詩篇27篇10節】たとい、父や母が私を勘当しても、主は迎え入れて、慰めてくださるはずです。

【箴言18章24節】友だちのふりをする友人もいれば、実の兄弟より親しい友人もいます。

【詩篇147篇3節】傷心の人々をやさしくいたわり、傷口を包帯で手当してくださいます。

頼りにしていた人に見捨てられ、見放され、背を向けられてしまうことは時々あります。何があっても本当に頼りにできる人はごく数人しかいないかもしれませんし、そういう人がまったくいない時すらあすかもしれません。しかし、何があっても必ず頼りになるのは神様であり、神様は何があっても私たちを見捨てることはありません。

孤独な人を助けてあげるにはどうすればいいでしょうか?

【第三ヨハネ5-8節】(中略)あなたは、旅行中の教師や伝道者を、もてなしてくれているそうですね。さぞかし、神様はお喜びでしょう。

【ヤコブ1章27節】父なる神の目から見て、純粋で欠点のないクリスチャンは、みなしごや未亡人の世話をする人のことです。

孤独な人には温かくもてなしの気持ちを持って、友人となってあげましょう。

■     神様の約束:ヘブル13章5

神様は、こう約束しておられるからです。「わたしはどんな場合にも、あなたの期待にそむかず、あなたを見捨てない。」

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