私たちは何からいやされる必要があるのでしょうか?
【ルカ8章42節】十二歳になる一人娘が、危篤状態だったのです。
【マルコ1章40節】ある時、一人の重い皮膚病の人がやって来て、イエスの前にひざまずき、熱心に頼みました。
私いたちは病気や疾病をいやしていただきたいと思うのです。
【詩篇30篇11節】すると、神様は嘆きを喜びに変え、喪服を脱がせて、きらびやかな晴れ着をきせてくださいました。
私たちは悲しむ心をいやしていただきたいと思うものです。
【詩篇55篇20節】かつてあれほど親しかった友人が、私を裏切りました。
私たちは裏切られた時の心の痛みをいやしていただきたいと思うものです。
【ローマ6章23節】罪の支払う報酬は死です。しかし、神様が、ただで下さる贈り物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。
【詩篇103篇3-4節】神様は私の罪をみな赦し...。
私たちは罪からいやされる必要があります。
【箴言17章22節】心がうきうきすれば体も健康になり、気がふさげば病気になります。
健康な体と前向きの状態や気持ちは関係しています。
神様はどのようにして私たちをいやしてくださいますか?
【ルカ10章33-34節】サマリヤ人が(中略)急いでそばにひざまずき、傷口に薬をぬり、包帯を巻いて応急手当をしました。
神様は医者などの医療行為を通していやしてくださいます。
【マルコ3章5節】(中略)「さあ、手を伸ばしてごらんなさい」と言われました。男がそのとおりにすると、たちどころに治ってしまいました。
【ルカ5章12-13節】(中略)彼はイエスを見るや、その前にひれ伏し、額を地面にこすりつけて頼みました。「お願いでございますっ!どうぞ私の体を、体をもとどおりにしてください。あなた様のお気持ちひとつで治るのですから。」イエスは手を伸ばして男にさわり、「治してあげましょう。どれどれ、さあ、もう大丈夫ですよ」と言われました。
奇跡的にいやしてくださることもあります。
【マルコ2章1-5節】(中略)四人の人が、担架で中風の男を運んで来ました。しかし、群衆をかき分けて中へ入ることもできません。そこで、屋根にのぼり、穴をあけると、そこから病人を担架に乗せたまま、イエスの前へつり降ろしました。必ず治してもらえると、堅く信じて疑わない彼らの信仰をごらんになって、イエスは中風の男に、「あなたの罪は赦されました」と言われました。
私たちの友人の信仰を通していやしてくださることもあります。
【詩篇6篇2節】ああ主よ、(中略)いやしてください。私は病気なのです。
【ヤコブ5章14-16節】病気の人はいませんか。その人は教会の長老を招き、主が治してくださるように、油を注いで祈ってもらいなさい。
祈りを通していやしてくださることもあります。
【詩篇一一九辺3節】どんなことがあろうと、おきてだけは手放せません。その教えによって、喜びと健康を回復していただきたいからです。
時間とともに、また、神様の教えにきちんと従った結果としていやしてくださることもあります。
【第一ペテロ2章24節】キリスト様は、自分の体に私たちの罪を負い、十字架で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは、罪ときっぱり手を切り、正しい生活を始めることができたのです。キリスト様が傷つくことによって、私たちの傷が治ったのです。
イエス様は死ぬことによって私たちにいのちをもたらし、ご自身が傷つくことによって私たちにいやしをもたらしてくださいました。そして、私たちの身代わりになって罪を受けてくださることによって私たちを自由にしてくださったのです。
神様はなぜ毎回必ず人をいやしてくださらないのでしょうか?
【第二コリント12章8-9節】(中略)「わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」
神様の力は、私たちに弱さや病気などがあるところに、さらに大きくあらわれるのです。ですから、私たちの中で神様が働かれるように神様にすべてをお任せすれば、その力を神様に示していただけます。
いやされない時はどのように対処すればいいのでしょうか?
【第二コリント12章10節】すべてはキリスト様のためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。
そんな時でも、神様は私たちを通して特別な形でそのお力を示されるという希望をもつことはできます。神様が私たちの弱みを通して働いてくださる時は、その奇跡的な力が神様から来たことが明らかにわかりますから、そのような状況を用いて神様は愛と力をこの世に示されるのです。
■ 神様の約束:使徒の働き4章30節
私たちに、病気を治す力を与え、あなた様の聖なるしもべイエスの名によって、奇蹟と不思議なことを行わせてください。