あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書のことば

◆罪の告白

罪は神様に告白すべきでしょうか、それとも他の人に告白すべきでしょうか?

【詩篇32篇6節】 私は神様を信じる人々に、自分の罪に気づいていたら、まだ赦される間に神様に告白しなさいと、大声で忠告します。そうすれば、その人は天罰を免れるのです。

罪を赦す権限をお持ちなのは神様だけですから、罪は誰よりもまず神様に告白します。

【ヤコブ5章16節】 ですから、互いに罪を告白し、祈り合いなさい。

当事者同士が互いに罪を告白しあうことによって、心がいやされることがよくあります。相手の人たちが、あなたのために祈り、あなたを励まし、あなたが徐々に立ち直るにつれてあなたのことを支えてあげようと決意してくれている人たちであれば特にそうです。また、誰かに対して悪いことをしてしまった場合はその人たちに罪を告白することも重要です。

私たちが罪を告白すると神様は本当に罪を赦してくださるのですか?

【詩篇32篇5節】 とうとう私は、自分の罪を神様の前にさらけ出さざるをえませんでした。「何もかも神様にお話しよう」と決心したのです。すると、神様は赦してくださいました。私の罪は跡形もなく消えたのです。

【第一ヨハネ1章9節】 しかし、もし自らの罪を神様に告白するなら、神様はまちがいなくそれを赦し、すべての悪からきよめてくださいます。

罪を犯すと罪悪感を感じます。これは罪に伴う心の重荷(痛み、恨み、罪悪感など)のひとつです。「告白」 とはこれら自分の中の罪の存在を神様に認めることによってお赦しをいただく行為のことです。

最終的にはすべての人はイエス様を主と認めて告白するのですが、イエス様のお赦しをいただくにはもう手遅れだという日はいつか到来するのでしょうか?

【ピリピ2章10-11節】 それは、そのお名前のもとに、すべてのものが天でも地上でも地下でもひざまずき、すべての口が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

【黙示録20章15節】 いのちの書に名前の記されていない者はみな、火の池に投げ込まれたのです。

すべての人はひざまずき、「イエス・キリストは主です」と告白する日はいつかはやって来ます。しかし、イエスが本当に主であるという否定できない現実を、世の末が来てその現実が避けられなくなった時にやっと認め、それまで決してイエスを受け入れなかったことは、悲しい限りではありませんか?

■     神様の約束:ローマ10章9節

なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の中で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

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