神様の臨在を自分の生活の中で感じるにはどうすればいいのでしょうか?
【詩篇24篇4-6節】それは、心と手のきよい人、嘘偽りのない人だけです。(中略)こうした日々が許される人、それは、主の前に立ち、ヤコブの神を拝むことを許された人だけです。
神様は、私たちが神様を求め罪から離れる時に、ご自分をあらわしてくださいます。
【詩篇27篇4節】 私が神様にお願いすることは、ただ一つです。その求めてやまないものとは、主の宮で黙想にふけり、いのちある限り主の前で暮らし、主の比類なき完全と栄光とを喜ぶ特権です。
ひたむきで誠実に神様を崇拝することによって、神様を知ることができます。
【マタイ7章7-11節】求めなさい。そうすれば与えられます。
神様は私たちに、子供が思いやりに満ちた父親に何かを頼む時とおなじようにアプローチするようにといわれました。神様を求め、神様を見出すには継続的で目的がはっきりとした祈りが必要です。
【詩篇16篇11節】神様は生きる喜びを教え、永遠に伴ってくださることによって、無上の楽しみを経験させてくださいます。
【詩篇21篇6節】また、永遠の幸福を授け、主の前に立つことの喜びが、いつまでも薄れないようにしてくださいました。
【詩篇26篇8節】主よ。私たちはあなたの家を愛しています。光り輝くこの宮を。主ご自身から照り渡る、目もくらむばかりのこの輝きを。
【詩篇31篇20節】いとおしまれる者たちを、神様のおられる隠れ家にかくまい、謀略家の手から守ってください。
【詩篇121篇3-4節】このお方は、私が決してつまずいたり、足をすべらせたり、倒れたりしないように守ってくださいます。また、眠り込んだりもなさいません。いつも大きく目を見開いて、見守ってくださいます。
私たちが神様と調和して生活を送っていると、神様の御前にずっと立っているのは喜ばしく、楽しいことになります。
神様が遠く離れておられるように感じる時はどうすればいいでしょうか?
【詩篇139篇1-12節】(中略)神様の視界から逃れることは決してできません。身を隠すことも、不可能です。
私たちがどんな絶頂にあろうとも、逆にどんなに深く沈みこんでしまっても、どこにいようとも、神様はそばにおられないことはありません。
【詩篇22篇1-25節】ああ神様、私の神様。どうして、私をお見捨てになったのですか。(中略)しかし、主はきよいお方です。(中略)私はすべての兄弟の前で主をたたえ、会衆の面前で、種のすばらしい行為を語ります。
信仰とは、神様から遠く離れてしまったように感じる時でさえ、神様を信じ続けることです。
神様は私たちのそばにおられたのでしょうか?また、私たちがお願いすれば答えてくださるのでしょうか?
【ヤコブ4章8節】神様に近づきなさい。そうすれば、神様も近づいてくださいます。
【黙示録3章20節】ごらんなさい。わたしは戸の外で、しきりにたたいています。その呼びかけにこたえて戸を開ける人なら、だれとでも、わたしは中に入って、親しく語り合います。
神様が御子イエスをこの世に送られた時、神様はこの世のあらゆる障害や科学的な法則などの常識を超越されました。神様は今も毎日二十四時間、常に私たち一人一人に神を求めるようにとよびかけておられます。私たちが神を求めれば、絶対に答えてくださるのです。
イエス様が命をささげられたおかげで私たちが主の御前で暮らせるようになったのはなぜでしょうか?
【ヘブル10章20節】この新しいいのちに至る道は、キリスト様が、ご自分の体という幕を引き裂くことによって、切り開いてくださいました。私たちはこの道を通って、きよい神様の前に進み出ることができるのです。
私たちの生活が神様と調和している時は、喜びと晴れやかな気持ちで神様の身前に行くことができます。
神様の臨在が恐ろしく感じるのはどういう時でしょうか?
【エペソ3章12節】キリスト様と共に、また、キリスト様に頼って神様に近づけば、きっと喜んで迎えていただけることを確信して、私たちは今、恐れることなく、大胆に神様の前に出ることができます。
私たちの生涯に罪があると神様の臨在を恐ろしく感じるようになります。神様ならまちがいなくその罪を見抜かれるからです。
■ 神様の約束:第一ヨハネ1章7節
しかし、神様の光の中におられるキリスト様にならって、私たちも光の中で生活すれば、互いにすばらしい交際と喜びとを味わうことができます。そして、神の子イエス様の血が、私たちをすべての罪からきよめてくださるのです。