本書の目的 | キリストで十分であり、キリストこそ至高であることを示すため。 |
著者 | 不明。パウロ、ルカ、バルナパ、アポロ、シルウノ、ピリポ、プリスカやその他の人が書いた可能性があるとされています。 |
誰に向けて書かれたか | ユダヤ教へ戻ろうと考え始めていたかもしれないヘブル人のクリスチャン。また、あらゆるクリスチャン |
年代 | 西暦70年ごろにエルサレムの神殿が破壊される前に書かれたと思われます。 |
背景 | ユダヤ人のクリスチャンはきっとユダヤ教徒からもローマ人からも激しく迫害されていたに違いありません。このヘブル人への手紙の作者はそういった彼らにキリスト教が真実であり、イエスは確かにメシヤ(救い主)であるとはっきり伝えて、信じていることに違いはないと彼らを安心させなければならなかったのです。 |
主要な聖句 | 「 神の子は、神の栄光を受けて、まばゆいばかりに輝いています。また、その人格と行動すべてにおいて、神であることを示し、力あることばによって、宇宙を統御しておられます。そればかりか、私たちのいっさいの罪の記録を消し去ってきよめるために、死んでくださいました。そして、天におられる偉大な神様のそばに、座っておられるのです。」(ヘブル1章3節) |
主要な登場人物 | 旧約聖書に登場する、信仰を持った人々(11章) |
イエス様の救いの贈り物がおよぼす影響を最も真正面からとらえたのが本書といえるかもしれません。本書はイエスが命をささげられた十字架の上の犠牲は、他に何も要さない完璧ないけにえであることを強調し、永遠のお赦しをいただける唯一の理由はイエスが私たちの罪の身代わりとして死んでくださったからだと伝えています。
しかし、神がユダヤ人(別名:ヘブル人)の国であるイスラエルと交わされた古い契約、つまり「旧約」の内容をまず理解することから始めなければなりません。神はイスラエルの民を選ばれた民とお呼びになり、いつまでも、すべての世代を通して共にいてくださると約束されました。
ところが彼らは生まれつきの罪深い性質により、自分たちが守るべきおきてを破ったのでこの契約の条件が満たされなくなってしまいました。罪はすべての人間を神から引き離します。そして私たちは罪深いからこそ神様の恵みがどうしても必要なのです。
イスラエル人たちは神にたいして不忠実でしたが、神は約束を守られ、彼らが従えるようにと供え物といけにえの制度を制定されました。ユダヤ教では祭司がいけにえの儀式をつかさどり、礼拝者の代わりに神様に祈る役割を担っていました。ユダヤ教徒は祭司の指示に従って、神に対して罪を悔いえて謝罪する気持ちをあらわすためにこれらのいけにえを定期的にささげていました。この謝罪のいけにえにより彼らは罪を赦していただけたのです。しかし、この制度の不利な点とは、人間であれば罪は何度も犯してしまうものですから、神に常に良い評価をいただくためには何度もいけにえをささげ続けなければならなかった点です。
神はついに私たちの罪の身代わりとなる永久的ないけにえをユダヤ教徒にも、ユダヤ教を信じない外国人にも与えられました。イエス・キリストは神の子であり、預言者により来られると預言されていたメシヤ(救い主)です。そしてキリストは私たちの身代わりとして命をささげられるためにこの世に来られたのです。イエス様は罪を一度も犯したことがなかったため、イエス様だけが私たちが神様に対して罪を犯してきたゆえに当然払うべき罪を肩代わりする資格をお持ちでした。
ヘブル人への手紙に登場する重要な点は、キリストが私たちのための祭司であるということです。キリストは神に選ばれた大祭司であったため、人間の必要を完全に満たし、神の御前への道を開くことができました。
つまり人間の祭司たちやいけにえの制度などから成る古い契約(旧約)だけでは完全に罪を赦し得るには不完全で不十分だったのです。キリストこそ神に選べれた完全な完璧な祭司であり、新しい契約(新約)を確立しました。キリストは祭司としての役目と、自ら命をささげられていけにえの役目をされたことによりこの新約を確立しました。
イスラエルの国と共にすべての国のあらゆる人は喜び祝うべきいです! 私たちは今全宇宙の神と常時直接お話ができるようになっているのです。救い主と会話をする際に牧師や神父、律法学者などを通して話す必要はもはやありません。イエス様は常に私たちに耳を傾けておられ、子供が愛するお父様に話しかけるかのようにいつでも話しかければ良いのです。
イエスがすべての人のために神の永遠のいけにえとなってくださったので、イエスを信じるクリスチャンは誰でも神の選ばれた民の一員になれるのです。私たちのクリスチャンが市民として本当に属する国は神の天の王国であり、神様は私たちが天国に行く時のためにすべてを整えてくださっています。