本書の目的 | コリントの教会で発生していた問題を指摘し、それらに対する解決策を指示し、腐敗した社会においてクリスチャンがどのようにしてキリストのために生きるかを教えるため。 |
著者 | 使徒パウロ |
誰に向けて書かれたか | コリントに住むクリスチャンたち、あらゆるクリスチャン |
年代 | 西暦55年ごろ、3度目の宣教の旅の途中で |
背景 | 当時のコリントは主要な国際都市であり、海港であり、貿易の中心地でしたが、同時に異教や多神教を信じる人や不道徳に満ちた街でもありました。 |
主要な聖句 | 「しかし、愛する皆さん、私は主イエス・キリストの御名によってお願いします。仲間同士の言い争いはやめなさい。教会の中で仲間割れなどしないよう、真の一致を保ってください。同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つの心になってほしいのです。」(第一コリント1章10節) |
主要な登場人物 | パウロ、テモテ、クロエの一家 |
主要な地名 | コリントでの礼拝の集会 |
パウロは本書を通して腐敗して不道徳に満ちた街コリントに住むクリスチャンたちが直面していた霊的な問題を指摘しました。コリントの街でクリスチャンたちは、まわりでまん延しているありとあらゆる罪に日々悩まされていました。パウロはコリントのクリスチャンたちに起こっていた分裂の問題を解決し、社会的問題や霊的な疑問に答えるべく賢いアドバイスを送ったのです。彼らには行動を改めなければならないとはっきりと伝え、心も思いも日々の振る舞いにおいてもイエス・キリストのようになろうという決意をし、それを貫き通さなければならないと伝えました。
クリスチャンとは新しく生まれ変わった人であり、内側からイエスに変えていただいた人です。自分の価値観やライフスタイルも聖書の教えにそったものにかえていかなければならないので、本当にそうなっているかどうかよく考えてみなければなりません。世間で許される言動や社会には、一般的に良いとされている事であってもクリスチャンの目からみるとちょうどコリント社会のように腐敗していて不道徳なことである場合があります。クリスチャンになりたての人は、コリントのクリスチャンのように、自分の新しい生き方が社会で普通と思われるそれと合わないことを発見するかもしれません。実際にはコリントに住んでいたクリスチャンたちはまわりの腐敗や罪に苦しみ、信仰や価値観を多少妥協すべきだというプレッシャーすら感じていました。
キリストのおかげで自由のみになったということはわかっていましたが、日常生活の中では実際どういうことなのでしょうか?やりたい放題にしてしまってもいいという意味の自由なのでしょうか?どのような行動が性的に不道徳ということになり、神はこの点について何とおっしゃっているのでしょうか?結婚生活や教会、人生における女性の役割は旧約聖書でさだめられたとおりにしておけば良いのでしょうか?
コリントの教会は不道徳や霊的な未熟さにむしばまれていたので、これらはコリントのクリスシャンたちにとっては現実的な問題でした。信者たちの信仰心の強さはコリントという不道徳に満ちた街にあって試みられており、中には不道徳との戦いに負けそうになっている人もいたのです。
コリントの教会の問題の多くは性にまつわる問題であったため、パウロは性的な罪をこの上ないほど厳しく非難しました。コリントでは売春や不貞がまかり通っていたため、結婚のきずなが崩壊してしまう人も多く、クリスチャンたちもどう反応すべきか迷っていたほどです。パウロはクリスチャンたちに優しく、ただしはっきりとどうすべきかを教えました。
すべてのクリスチャンをひとつの家族としてまとめる明確でシンプルな救いのメッセージをパウロは伝えました。他のクリスチャンとの意見の食い違いは裁判所などで決着を求めるのではなく、クリスチャン同士で解決すべきである、と。教会のリーダーに求められる霊的な基準が何かを教え、神様に完全に従うべきであるとも伝えていきます。後半では女性の役割にも慎重に触れています。また礼拝について、そしてクリスチャンが神様にいただいた才能を神やまわりの人に仕えるために使うべきであるとも教えました。
コリント人への第一の手紙はすべてのクリスチャンに、この世の一員になってしまわないよう、この世の価値観やライフスタイルを受け入れてしまわないように注意を呼びかけています。私たちは他の人をイエス・キリストに導くような、何事もイエスを中心とした、他人への慈愛に満ちた人生を送らなければなりません。