あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書概要

ガラテヤ人への手紙の概要

本書の目的 ユダヤ教以外の宗教からキリスト教に改宗した人たちもユダヤ教の伝統的な習慣や宗教的規則(おきて)に従わなければならないという誤った教えから、クリスチャンの信仰と自由を守るため。また、キリストを信じ、自由をいただくようにすべてのクリスチャンに呼びかけるため。
著者 使徒パウロ
誰に向けて書かれたか ガラテヤ南部の各教会、あらゆるクリスチャン
年代 西暦49年ごろ、アンテオケで
背景 この手紙はクリスチャンになったばかりの人たち、またその中でも特にユダヤ教以外の宗教から改宗した人たちと、ユダヤ教のおきての適用を明らかにするために書かれました。
主要な聖句 「このように、キリスト様は私たちを自由の身にしてくださいました。ですから、この自由をしっかり握っていなさい。もう二度と、ユダヤ教のおきてや儀式にがんじがらめにされた奴隷とならないよう、細心の注意をはらいなさい。」(ガラテヤ5章1節)
主要な登場人物 パウロ、ペテロ、バルナバ、テトス、アブラハム、偽教師たち
主要な地名 ガラテヤ、エルサレム
本書の特徴 この手紙は特定のクリスチャンたちに宛てられていませんので、おそらくガラテヤ地域の複数の教会で回覧されたと思われます。

過去にどんな悪いことをしたとしても帳消しにされ、今度は過去に縛られることなく選択ができるようになったという確信を持つことほど素晴らしいことはありません。人は誰でも自由になりたいと切に望むものです。

使徒パウロはクリスチャンの私たちがイエスを信じた結果として与えられる自由は実際にどんな自由を意味しているかを説明します。これは旧約聖書にしるされているおきてや、罪深い習慣から解放される自由、そして主イエスに仕える自由を意味しているとパウロは教えました。

使徒の働きの書に書いてあるように、良い知らせ(福音)は誰よりも先にユダヤ人に伝えられたため、初期のクリスチャンもクリスチャンのリーダーたちもほとんどユダヤ人であり、ユダヤ教徒でした。そして彼らはイエスをメシヤ(救い主)として受け入れたものの、ユダヤ教徒として旧約聖書につづられている伝統的なおきてを遵守しなければならないという信条と、イエスを信じたためにこのようなおきてを守る義務から解放された現実の間で板ばさみになっていました。さらに彼らにしてみれば、ユダヤ教徒ではない外国人は神の家族の一員になれるかどうかも定かではありませんでした。イエス様はメシヤであり、メシヤとは本来神がユダヤの国に送ると約束されたお方なのですから。

ガラテヤ人への手紙は、イエスが教えられた本来のメッセージに戻ってくるようにとすべてのクリスチャンに呼びかけるために書かれました。このイエスのメッセージの内容とは「救いとはすべての人のためである」ということです。規則を守ったとしても、完璧な行動を取ったとしても救いを得ることはできません。救いとは、神が御子イエスの死と復活によって無償の贈り物としてくださるものなのです。

パウロは本書の中で自分自身が救われた時の驚くべき実話をつづっています。パウロはもともとユダヤ教の宗教指導者であり、イエスの教えに徹底的に反対していました。ある日、クリスチャンを捕らえようと出かけたパウロの前にイエスが奇蹟的に現れたのです。その臨在があまりにも強力であったためにパウロもついにイエス様こそ私たちを罪から救うために来られたメシヤであると信じました。

パウロは旧約聖書のおきてに精通していたので、これらの古くからあるルールに従うことと、クリスチャンになったことで与えられた自由の中で生きることの2つを両立させることを教えるには理想的な指導者でした。本書の中で、旧約聖書が書かれた目的、またこれらのおきてと神の約束とイエス・キリストの関係について説明しています。さらに、自由を与えられたというのは互いにあって、悪いことをしても良いというわけではない、とも説明しています。

ガラテヤ人への手紙を読みながら1世紀の当時のクリスチャンたちが直面していた、「恵み」と「おきて」の論争や「 信仰」と「良い行い」の論争を理解するように努めつつ、現代における日常的な生活に当てはまるとどういう例になるかも考えてみましょう。パウロのように良い知らせ(福音)が真実である事実を主張し、この真実に要らぬものを付け加えたり、歪曲する教えは何であっても避けましょう。あなたがクリスチャンであればキリストにあって自由な身なのですから、喜び祝いましょう。

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