イエス様は、私たちが助けを必用としている時に本当に同情してくださるのでしょうか?
【マタイ9章36節】このように、ご自分のところにやって来る群衆をごらんになると、イエスの心は、深く痛みました。彼らは、かかえている問題が非常に大きいのに、どうしたらよいか、どこへ助けを求めたらよいか、まるでわからないのです。ちょうど、羊飼いのいない羊のように。
【マタイ14章14節】舟から上がられたイエスは、大ぜいの群衆をごらんになり、あわれに思って、病人たちをみな治されました。
【マタイ20章34節】イエスは心からかわいそうに思い、彼らの目におさわりになりました。すると、たちまち目が見えるようになり、二人はイエスについて行きました。
【ルカ7章13節】痛々しい母親の姿を見てかわいそうに思ったイエスは、「泣かなくてもいいのですよ。」と、やさしく声をおかけになりました。
【ヘブル4章15節】この大祭司は、私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられます。しかしただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。
イエス様は、助けを必要としていたすべての人に、慈愛に満ちたあわれみの気持ちをお持ちでした。あなたがどんな誘惑や傷や痛みを負おうとも、イエス様のやさしいお心の同情をかきたてないことはひとつとしてありません。
神様は、私に他の人に対して同情するように期待しておられるのですか?
【第一ペテロ3章8節】(中略)お互いに家族の一員として、心から思いやりなさい。やさしい心と、謙そんな思いで愛し合いなさい。
他の人に同情し、心から思いやる言動は、キリストらしい人格のあらわれです。イエス様は他の人の痛みに同情されたのですから、私たちも同じようにすべきです。
他の人に同情していることを示すにはどうすればいいですか?
【ヘブル10章33節】時には、あなたがた自身があざけられたり、打ちのめされたりもしました。また時には、同じ苦しみをなめている人たちに、心からの同情を寄せたりもしました。
相手が経験している内容に心から深く共感してあげることによって示すことができます。
【ルカ10章36-37節】「この三人のうちだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」「もちろん、親切にしてやった人です。」この答えを聞くと、イエスは言われました。「そのとおりです。あなたも同じようにしなさい。」
助けが必要な人を助けてあげることによって示すことができます。
【第二コリント1章4節】(中略)それは、苦しみの中にあって、同情と励ましを必要としている人々に、私たちも、神様から受ける助け慰めを与えることができるためです。
同情と励ましの言葉をかけてあげることによって示すことができます。
■ 神様の約束:詩篇103篇13節
神様は、恐れかこむ者に対しては、父親のようにやさしい思いやりを示してくださいます。