あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書のことば

◆苦しみ

私たちはなぜ苦しんでいるのでしょうか?神様は私のことは気にかけてくださっていないのでしょうか?

【詩篇10篇2節】 (中略)貧しい者を邪険に扱う、高慢ちきな者ども...。

私たちの苦しみは、自分の罪のせいではなくて他人の罪の結果である場合もあります。

【ヨハネ9章1-3節】(中略)弟子たちが尋ねました。「先生。どうしてこの人は、生まれつき目が見えないのです?本人が罪を犯したからですか。それとも両親が...?」「いや、そのどちらでもありません。ただ神の力が現わされるためです。」

私たちが直面する苦しみは自分のせいではない場合もあります。ただただ苦しみが起こってしまう時もあるのです。このような場合は、その苦しみに対してどう反応するかが重要になってきます。

【箴言3章11-12節】神様に.懲らしめられても、腹を立ててはいけません。あなたを愛していればこそ、そうなさるのです。父親がかわいい子供の将来を思って罰するのと同じです。

神様は、罪を犯している私たちを戒めるたまに苦しみを送られる場合もあります。私たちを愛しておられ、私たちを正して神様との関係を回復させたいと思っておられるので私たちをしつけられるのです。

【詩篇119篇71節】結局、神様から懲らしめられたことは、この上ない幸いだったのです。おかげで、はっきり目をおきてに向けることができました。

神様は、私たちに新呼応のテストとして苦しみを送られ、ご自分に従うように励まされる場合もあります。

【第一ペテロ4章14節】クリスチャンであるばかりに、ののしられ、侮辱されるなら、ほんとうに幸せです。そんな時には、神の御霊が大いなる栄光で包んでくださるからです。

キリストとその教えを守るために苦しまなければならない場合もあります。

【ヤコブ1章3節】行く道の険しさは、忍耐を養う良いチャンスとなるからです。

クリスチャンとして成長し、成熟する助けとなるよう、苦しまなければならない場合もあります。

【第二テモテ3章12節】確かに、キリスト・イエスのお考えにそって、神様を敬う生活を送ろうとする人はみな、敵対する者から苦しめられ、迫害されます。

この世はキリストを嫌う人も大勢いるので、私たちがキリストに属する者であると宣言すれば、キリスト様ご本人を苦しめたこの世ですから、私たちも同様に苦しめられることがあるかもしれないと思っておくべきです。

苦しみから何か良いものが得られる場合はあるのでしょうか?

【第二コリント1章7節】すなわち、あなたがたが同じような苦しい境遇に立たされた時、神様の慰めが、どれほどやさしいものかを、私たちの体験から知るためです。

苦しんだり、傷を負ったりしたがために、かえって大きく再生し、これまでになくいやされることにつながる場合もあります。

【ローマ5章3-4節】私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。それは忍耐を学ぶのに役立つからです。

【ヘブル12章11節】罰を受けた当初は、だれも気持ちがいいはずはなく、むしろ、傷つけられたと感じるものです。しかしあとになれば、それが自分の益となり、信仰の面でも、性格の面でも、プラスとなっていることが、わかるのです。

【第二コリント12章10節】すべてはキリスト様のためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。

【第二テモテ2章10節】私は喜んで、どんな苦しみも耐え忍びます。それは、神様に選ばれた人に、キリスト・イエスの救いと、永遠の栄光とをもたらすためです。

私たちのためになることやキリストの栄光になること、キリストの教会を築くためになることであれば、たとえ苦しみであっても喜んで受け入れるべきです。

苦しみの時に神様の近くにとどまっておくにはどうすればいいでしょか?

【詩篇22篇24節】主は、私の絶望の底からの叫びをさげすまれなかった。背を向けて立ち去りはなさらなかった。叫び声が届くと、主は助けに来てくださった。

私たちが苦しんでいる時であっても、神様は私たちを見捨てられたのではないことに気づきましょう。

【詩篇126篇5-6節】涙をまく人は、やがて喜びを刈り取ります。種を手にし、目を泣きはらして出て行った人々が、やがて収穫の束をかかえ、歌いながら帰ってきます。

苦しみの時はいつまでも続くわけではないことをおぼえておきましょう。暗い苦しみの闇の中ではなかなか喜びと幸せの光を思い浮かべるのは難しいことですが、苦しみの涙は実は喜びの種ともいえるのです。

【第一ペテロ5章10節】キリスト様を通して、あふれるほど恵みを注いでくださる神様は、あなたがたに、しばらくの苦しみのあとで、永遠の栄光を与えてくださるのです。神様がじきじきにあなたがたを力づけ、堅く立たせて、今まで以上に強めてくださいます。

神様は、私たちが苦しむ姿を見たいと思っておられるわけではないことに気づきましょう。慈愛に満ちた神様ですから、私たちが人生を歩んでいくうちに避けようのない懲らしめに直面するのを見て喜んでおられるわけではありません。また、あわれみに満ちた慈愛と気遣いによって私たちが懲らしめられ、苦しんでいる間も最後まで支えてくださるのです。

【ルカ24章26節】キリストは、栄光の時を迎える前に、必ずこのような苦しみを受けるはずだと、預言者たちは、はっきり予告したではありませんか。

【ヨハネ3章16節】実に神は、一人子をさし惜しまず与えるほどに、世を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。

イエス様ご自身も私たちのために苦しまれたことをおぼえておきましょう。イエス様は十字架で激しい苦痛を強いられ、肉体的な苦しみだけではなく、全人類の罪を一身に受けられた苦悶に苦しまれたのです。

【ローマ8章17-18節】ところで、私たちは神様の子供なのですから、神様の財産の分け前をいただくのです。神様がひとり息子イエスにお与えになったものは、今までは私たちのものでもあるからです。しかし、私たちが神の子の栄光を共に受けるのなら、当然、その苦難をも受けなければなりません。けれども、私たちがいま味わっている苦しみなどは、後にいただく栄光に比べたら、取るに足らないものです。

【ヘブル2章18節】自ら、試練と非常な苦しみを体験された主イエス様は、試練にあえいでいる私たちの苦しみをよく理解して、実にみごとに助けてくださるのです。

イエス様は私たちの苦しみや誘惑を存分に理解しておられるだけではなくて、イエス様を救い主として知るすべての人には永遠にすばらしいいのちをくださったのです。

■     神様の約束:第二コリント1章3-4

私たちの神様は、なんとすばらしいお方でしょう。神様は、主イエス・キリストの父であり、あらゆる慈愛の源です。そして、私たちが苦しみや困難にあえいでいる時、すばらしい慰めと励ましを与えてくださるお方です。どうしてでしょう。それは、苦しみの中にあって、同情と励ましを必要としている人々に、私たちも、神様から受ける助けと励ましを与えることができるためです。

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