あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書のことば

◆救い

救われるというのは何を意味しているのですか?

【ローマ4章4-8節】(中略)罪を赦された者、罪をすっかり消された者は、なんと幸いだろう。

【ローマ3章24節】(中略)神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。

救われるということは、これまでの犯した罪のため罪を受けるに値する状態から、神様の恵みによって赦されたということを意味します。

【詩篇103篇11-12節】(中略)神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ捨ててくださいました。

救われたということは、罪が完全に取り除かれたことを意味します。

【詩篇51篇1-12節】(中略)私をあわれんで、恐ろしい罪の汚点をぬぐい去ってください。どうか私を洗い、この罪からきよめて、もう一度、潔白な身としてください。

救われたということは、罪の汚点が洗い流されたことを意味します。

【第一ペテロ2章9-10節】(中略)以前は神様のいつくしみからは縁遠い者でしたが、今はそのいつくしみによって、生活そのものを変えられています。

【ローマ3章21-14節】(中略)このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。

救われたということは、キリストにあって赦されたことを意味します。

救われるにはどうしたらいいのでしょうか?

【ローマ10章13節】主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。

神様のことばによると、イエス様のお名前を呼び求めれば誰でも救われると約束しています。

【ヨハネ3章16節】実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、世を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。

【ヨハネ5章24節】よく言っておきます。わたしの言うことを聞き、わたしを遣わされた神を信じる人はだれでも、永遠のいのちがあります。

イエス様もご自分を信じる人は救われると約束されました。

救いは誰でもいただけるものですか?

【ルカ2章11-12節】今夜ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

イエス様は粗末な馬小屋にお生まれになり、ごく普通の一庶民としてこの世に来られました。それは救いとはイエス様を誠実に求める人なら誰でもいただけるということを力強く示すためでした。

【黙示録20章11-21節】(中略)死者は、これらの書物の規定に従い、それぞれの行いに応じて、さばかれました。

救いは誰でもいただけるものではありますが、救われるのに遅すぎるという時が来るのも事実です。

本当に自分は救われているかはどうすればわかるのですか?

【ヨハネ1章12節】しかし、受け入れた人はみな、この方から、神の子供となる特権をいただきました。それにはただ、この方が救ってくださると信じればよかったのです。

【第一ヨハネ5章11-13節】神様の言われたこととは、何でしょう。それは、神様が私たちに、永遠のいのちを与えてくださったこと、また、永遠のいのちが神の子のうちにあるということです。そういうわけで、神の子を信じる人には、いのちがあり、信じない人にはないのです。すでに神の子を信じているあなたがたに、このように書き送るのは、あなたがたには永遠のいのちがあることを自覚させたいからです。

【第一ペテロ1章5節】神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。

救われること自体によって永遠のいのちの確かな希望が与えられるのです。

【ローマ8章12-17節】(中略)神の御霊によって導かれる者はだれでも、神様の子供だからです。

聖霊様が私たちの心のうちに宿り、私たちが神様の子供であることを確信させてくださいます。

【マタイ14章23-33節】(中略)大声で、「助けてくれーっ」と叫びました。イエスはすぐに手を差し出してペテロを助け...。

私たちは自力では罪や罪悪感、さばきや霊的な死から自分を救うことはできません。私たちを救えるのはイエス・キリストだけです。

救いはなぜキリスト教にとってかけがえのない中心的教義なのでしょうか?

【ローマ6章23節】罪の支払う報酬は死です。しかし、神様が、ただで下さる贈り物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。

聖なる神様に対して罪を犯すと私たちは神様から引き離されてしまい、そのせいでさばかれ、霊的に死んでしまうので、救いは必要不可欠なのです。

【使徒の働き4章12節】この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。

聖霊が救いへの道は、「ただひとつしかない」と断言しているのは排他的に聞こえるかもしれませんが、これは実際は神様の恵みと親切心のあらわれなのです。

■     神様の約束:ローマ10章9

なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

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