あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書のことば

◆習慣や癖

聖書に登場する悪い習慣や悪癖はどんなものでしょうか?

【第一ヨハネ3章8節】しかし、もし依然として罪を犯し続けるなら、それは、悪魔の一味になり下がった証拠です。

罪を犯すという悪癖は、人間なら誰も完全に絶つことのできない習慣ですが、長い間にわたって罪深い生活を送り続けている人は、それほど真剣に神様に従おうと思っていない人なのかもしれません。

【マタイ15章19-20節】つまり、悪い考え、(中略)不品行、盗み、うそ、また悪口などは、心から出て、人を汚すのです。

このような習慣や癖は気をつけていないとつい身についてしまうものですが、そうしてしまうと実に悲惨なけっかとなってしまいます。

【ピリピ2章14節】何事においても、不平を言ったり、理屈をこねてはいけません。

【エペソ4章31節】意地悪、不きげん、怒りを捨てなさい。とげのあることば、えこひいきが日常生活に巣くっていてはなりません。

よく愚痴をこぼしてばかりいるとたちまちそういう不満が恨みへとしんこうしてしまう危険があります。

【第一テモテ5章13節】その上、彼女たちときたら、怠けやすく、あちこちの家を遊び歩いては、うわさ話に花を咲かせ...。

することがすくなくて時間を持て余しているとつい悪癖が身につきやすくなってしまいます。このような怠け癖がついてしまうと今度はうわさ話をしたり陰口をたたくという悪癖にも簡単に結びついてしまいます。パウロはこの聖句の中で

未亡人について話していました。彼女らは未亡人になってからは教会に生活を支えてもらっていたので、以前と比べて時間を持て余すようになってしまっていたのです。けれども、この教訓は私たち皆に当てはまるものです。

悪い習慣や悪癖はどのようにして直せばいいのでしょうか?

【ローマ7章14-25節】(中略)私は自分が全くわかりません。ほんとうは正しいことをしたいのに、できないのです。反対に、したくないこと、憎んでいることをしてしまいます。

あなたもこのように感じたことはありませんか?パウロは悪癖をやめるための最善の方法を示してくれました。悪癖が確かに悪いことであることに気づいて認め、正直に告白することです。パウロも自分の悪癖を一夜にして直すことはできないのは知っていました。しかし、神様の助けを借りれば毎日少しずつ進歩することは可能であるとも知っていました。私たちも悪癖をやめるには、毎日少しずつ段階を踏んでいかなければならない場合もあります。

【第一ヨハネ2章15節】この世と、その中のすべてのものに、心を奪われてはなりません。

罪は、見た目にきれいで魅力的であることがよくあります。悪癖も似たもので、自分にとって悪いことだと知っていてもなかなかするのが楽しく、居心地が良いのでやめられないものです。何らかの悪い習慣や悪癖をやめるのは、好きなことをやめなければならない場合もあるのでかなり難しいこともあります。しばらくつらい時期が続くこともあるかもしれません。しかし、悪い習慣や悪癖をやめた結果としてそのときつらい思いをしても、最後にはそれにより神様を喜ばせているのだという深い喜びが得られます。

【コロサイ3章2節】天国のことで心が満たされていなさい。

悪い習慣を良い習慣に取り替えましょう。

良い習慣を身につけるにはどうすればいいでしょうか?

【ヘブル10章25節】教会員として義務を怠ったり、集会を休んだりする人たちにならってはいけません。

他のクリスチャンと共に集うのは良い習慣です。クリスチャンは信仰のために仲間と交わりを持つ必要があるので、その必要が満たされますし、グループとして集まって聖書の勉強をするという習慣が身につきます。また、忙しくなるので悪い習慣に逆戻りしてしまう時間もなくなり、仲間同士で何かをした場合の説明責任を持つことができます。

【詩篇28篇6-8節】(中略)神様は私の力、あらゆる危険から身を守る盾です。私の信頼にこたえて、神様は助けてくださいました。心にわき上がる喜びは、賛美の歌となってあふれます。

ダビデは少年のころに神様と話し合い、神様についての歌を作り、詩篇を書く習慣を身につけました。この習慣を身につけたおかげで、一生神様を信頼し、神様に従うことができました。

【ローマ6章16-17節】知らないのですか。自分の主人は自分で選べるのです。〔死を伴う〕罪を選ぶこともできれば、〔無罪の宣告を伴〕従順を選ぶこともできます。だれかに自分をささげれば、その相手があなたを受け入れて主人となり、あなたがたはその奴隷となるのです。神様に感謝すべきことに、あなたがたは、以前は罪の奴隷になる生き方を選んでいましたが、今では、神様からゆだねられた教えに心から従う者となりました。

神様に服従するかどうかはあなたに与えられた選択です。私たちは日々岐路に立ち、罪深い道を選ぶか、神様の道を選ぶかの選択に迫られます。選ぶ道は私たちの道ではありませんが、選択は私たちにかかっているのです。

■     神様の約束:ローマ8章5-6

低劣な性質の言いなりになっている人は、自分を喜ばせるためにだけ生きています。しかし、聖霊様に従って歩む人は、神様をお喜ばせしようとしている自分に気づくのです。聖霊様に従って歩むなら、いのちと平安が待っています。しかし、古い性質に従って歩めば、死に行き着くのです。

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