あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119篇105節
聖書のことば

◆罪を犯すことや罪悪感

私たちはどういう面で罪を犯しているのでしょうか?

【ローマ3章23節】そうです。すべての人は罪を犯しました。神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。

【ヤコブ2章10節】神様のおきて全体を、注意深く守っていても、一点でもつまずけば、全部破った人と同罪です。

犯した罪のひどさに応じて有責性や罪悪感もかわってくるものではありますが、「小さな罪」を犯しても「大きな罪」を犯しても、罪を犯して有罪であることには変わりありません。

【ヤコブ4章17節】また、何をすべきかわかっていながら、手をこまねているものも罪だということを、自覚しなさい。

罪とは、悪いことをする場合だけではなく、良いことをしない場合も含まれます。

罪悪感をおぼえなくなるようにするには何をすればいいでしょうか?

【詩篇19篇12-13節】(中略)どうか、隠れた罪からもきよめてください。故意に悪に走ることからも引き止め、守ってください。そうすれば、私は過ちを犯さず、大きな罪からも逃れることができます。

罪悪感は悪いことをした結果として生じるものです。罪を極力犯さないようにして、それでも犯してしまった罪はすべて神様に告白しましょう。

【ローマ5章8節】しかし、私たちがまだ罪人であった時に、神様はキリスト様を遣わしてくださいました。そのキリスト様が私たちのために死んだことより、神様は私たちに、大きな愛を示してくださったのです。

【テトス3章7節】こうして神様は、私たちを、ご自分の目にかなった正しい者と宣言してくださいます。これは、神様の恵み以外の何ものでもありません。私たちは今、永遠のいのちの相続権を認められ、実際にそれをいただく日を、心から待ち望んでいるのです。

【ローマ10章9節】なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」を告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

これは神様の恵みのすばらしい例です。私たちは救いという神様の無償の贈り物を受け入れるだけでいいのです。救いを受け入れるというのは、神様が私たちの罪の罰を肩代わりして死ぬために御子イエスを送ってくださったので、私たちはもはやそれらの罪の責任を負うことも罪悪感をおぼえる必要もなくなったということです。

【第一ヨハネ1章9節】しかし、もし自らの罪を神様に告白するなら、神様はまちがいなくそれを赦し、すべての悪からきよめてくださいます。

祈って罪を告白すれば罪悪感をおぼえなくなります。もし、あまりの罪悪感にさいなまれて祈ることすらできない気がしても、どうか祈り続けてください。祈りこそ神様に罪を告白し、神様との関係を回復するための唯一の手順なのですから。

■     神様の約束:使徒の働き13章39

イエス様を信じる人はみな、すべての罪から解放され、正しい者と宣言されるのです。

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